ベストセラー作家にエッセイの書き方を教えてもらいエッセイ大賞に応募してみた結果

エッセイ・コラム




この記事を書いた人
はじ丸(Kazuo Ando)

ドッグサロン経営の傍、大学等でペットビジネス経営学とペット社会学講座の講師をしています。
著書:愛犬と「幸せ家族」になる方法〜PHP文庫
2017年後半から仕事の合間を縫ってブログ運営を始めました。

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こんにちは、はじ丸(@hajimaru2017)です。

現在62万部を売り上げている大ベストセラー小説の作家先生と親しくさせてもらっています。

親しいついでに、書き物について質問を投げまくるのですが、聞けば聞くほど、小説家が”文化人”カテゴリーに分類されることに得心するのです。

 

はじ丸
はじ丸

ほんと、次元がちがうわ・・・

 

そのうちインタビュー記事としてまとめますが、話を聞いているうちに自分でも書いてみたくなってしまってですね・・・。

小説なんて高尚なもの、とてもじゃありませんが書けません。

そこで、とある”エッセイ大賞”に応募したのです。

先日結果発表があり見てみましたら、2,581作品の応募があったそうで、入選は9作品でした。

 

その結果は・・・

 

落選したらブログに載せてもいいそうなので、本日こちらで作品を載せますす。笑

ちなみに、決められた応募テーマは「出会い」でした。

 

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応募作品【まくらべの宝物】

【まくらべの宝物】

 

穏やかな顔。

眠っているようだ。

 

母の目に最期に映ったのはなんだったんだろう。

くすんだ白黄色の壁に囲まれた介護施設の一室。

数年ぶりの親子水入らず。

 

「おとんに会えたか?」

 

母の頬を撫でながら話しかける。

涙は出てこなかった。

 

「生きておられるのが不思議なくらいの状況です」

 

”看取り同意書”にサインをした翌朝、母は看護師さんに看取られ静かに父の元へ旅立った。

 

父が逝ったのが五年前。

一人暮らしになった途端、母は認知症を患い、坂道を転げ落ちるように体調も崩して行った。

 

父と母が本当の夫婦になったのは、私が高校3年の時。

不倫からの略奪愛だった。

 

生まれたときから親子三人で暮らしていたので、父と母が戸籍上夫婦でないことなど子供の私が疑うはずもない。

父と母が入籍した日、食卓の上に置いてあった戸籍謄本の写し。

何気に見ると、その日まで母は父方の祖母の養子になっていた。

 

「なんで養子なん?」

 

私の質問に狼狽した母の表情を、今でも鮮明に覚えている。

ゆっくりと話し始めた母。

 

私が生まれた時、父には別に家庭があったこと。

父の姓を名乗るために祖母の養子になったこと。

私には腹違いの兄と姉がいること。

民事裁判の決着がつき、やっと入籍ができたこと。

 

愛人の子…。

下卑た意識が心のどこかでひりついた。

 

でも真実を告げる母のつらそうな顔を見ると、怒る気にはなれなかった。

隠していた母の方がつらかったに決まっている。

 

やっと本当の夫婦になれた両親。

父も、普通の家族になれた幸せを噛みしめていた。

これからは、今まで以上に平穏な日々を過ごせるはずだった。

 

1年後、父の経営する会社が倒産する。

大手電機メーカーの社員だった父が会社を辞め、町の小さな下請け工場として独立したのは私が生まれた年。

創業から19年後の倒産だった。

 

そこから家族の生活は一変する。

もう一度工場を再建すべく父と奔走しながら、内職仕事で食いつなぐ毎日。

私は大学も中退した。

 

当時の借金取りの取り立ては凄まじかった。

夜中でもおかまいなしにやってくる。

大声で怒鳴りながらドアを叩くサラ金業者。

「金返せ!」の貼り紙。

映画のような光景が、現実のものとして目の前で繰り広げられた。

 

「バチが当たったんやなぁ」

 

そうつぶやきながら、母は気丈だった。

スナック、保険のセールスレディ、化粧品の訪問販売。

職を転々とし細々ながらも家計を支えてくれていた。

 

米櫃が空になり、もやしで食いつないだこともあった。

天ぷらにするとこれがなかなか美味なのだ。

 

母の人生は苦労の連続だった。

昭和4年に宮崎県で生まれた母は、12歳から16歳の青春時代真っ只中を戦時下で過ごす。

学徒動員され軍需工場で働き、竹槍で敵が上陸してきた時に備えて訓練をしていた話を何度も聞いた。

空襲時、敵機の機銃掃射によって目の前で人が死ぬのを見たという。

 

戦後、集団就職で大阪に出てきた母。

2つ目の会社で父と出会う。

くわしい話は聞けずじまいだったが、道ならぬ恋に落ち、子供を授かり訴えられ、ようやく結婚できたと思ったら倒産・・・。

 

「おかんの人生、苦労しかないな」

「苦労したとか思ってへんよ、かずくんがおったから」

 

屈託なく笑っていた母。

母にとって一人っ子の私だけが本当の家族、唯一の生きがいだったのだろう。

当時の私は、そんな母の言葉に苦笑いするだけだった。

 

寝たきりだった父が亡くなった時、電話の母は錯乱していた。

 

「お父さんが!お父さんが!」

 

自分では何もできない父の介護に翻弄されていた母。

介護から解放され少しは楽になるだろうと考えた私の思いは外れた。

この世から父がいなくなった喪失感から認知症を患ったのだ。

 

葬儀屋が来るまでの母と最後の親子水入らず。

母の頬を撫でながら昔話。

 

あれ?意外と泣けないものだな。

そのとき、枕元に置いてあるアルバムを見つけたのだ。

 

貧乏続きで財産など何もない母の遺品。

そういえば、母は施設でいつもこのアルバムを抱いていた。

 

「ヨネさんの宝物やもんねぇ」

 

施設から届いた動画にも、その姿は映っていた。

 

開いてみる。

子供の私があちらこちらで笑っていた。

最後のページには、大きく引き伸ばした1枚の写真が貼ってある。

赤ん坊の私を母が抱き、父が私の顔を覗きこんでいる。

 

幸せそうな満面の笑顔。

 

涙が止まらなくなった。

背中を丸めてアルバムを見ている母の姿が目に浮かんだ。

母の顔を両手で包み、ただひたすら謝り続ける。

認知症の母はここで、一番幸せだった頃の思い出と生きていた。

 

母の人生は不幸ばかりじゃない。

母は父と出会えて本当に幸せだったんだ。

写真の中には世界一幸せそうな家族がいた。

 

おかん、やっとおとんと静かに暮らせるなぁ。

そのうち行くから。

その時はおとんとの恋話、ゆっくり聞かせてな。

 



まとめ

正直言って、ブログを書いている方が随分と楽です。

エッセーを書いていると息苦しくなります。

それだけエネルギーを使うということなんでしょうね。

小説家って、ほんとすごい。

でも火がついてしまいまして、もっと勉強してまた新たに挑戦してやろうと、公募ガイド買ってしまったのでした。

 

今日も最後までご覧いただきありがとうございました。
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はじ丸