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元刑務官が語る「死刑執行の瞬間の裏話」が想像を絶する内容だった

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この記事を書いた人
はじ丸(Kazuo Ando)

ドッグサロン、トリミングスクール経営。「愛犬と幸せ家族になる方法〜PHP文庫」著者。大学・通信教育系企業でペットビジネス関連講座を担当しています。YouTubeで車中泊に特化した「はじまるちゃんねる」運営。キャンピングカーで妻と愛犬と共に旅することが生きがいです。

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こんにちは、はじ丸(@hajimaru2017)です。

 

大阪拘置所で看守として死刑執行に関わった元刑務官のインタビュー動画を見ました。

 

はじ丸
はじ丸

絶句・・・・

 

見終わってから、しばらく呆然。

動画をそのまま載せようかとも考えたのですが、30分以上あるので、通信容量を考えるとテキストに起こした方が見やすいし断然早く読めるので、テキストにしました。

 

※質問は要約していますが、元刑務官の発言はほぼコピーできてると思います。

ただし、精神的にきつい描写もあるかと思われますので、自信のない方は読まない(見ない)方がいいかも知れません。

担当刑務官の任命と心境

 

死刑執行の担当になるのは、いつどんなふうに伝えられるのか?

若い時でまだ末端の看守でしたので、夜勤勤務をしておりました。夜勤勤務は朝の8時に集合して解散なんですけども、その集合した時に、5名呼ばれたんですけども「今から呼ぶ者は待機所で待機」という命令が出ました。

通常の命令は「今から居残り勤務、裁判所へ誰と誰」と言われるわけですけども、「待機所で待機」という命令が出ましたもんで、一体なんだろうかと「はっ!まさか・・・」という気持ちで聞いておりました。

で、待機室に行きますといろいろ噂が立ちまして、どうも死刑執行らしいと。で、30分もしますと当時の管理部長室に呼ばれまして、「死刑執行ボタンを押す執行係を命ずる」という命令がありました。

 

いつか自分にもその役割が回ってくるであろうという覚悟はあるものなのか

いや、ありませんでした。当時は、勤務成績の悪いものがペナルティとして死刑執行係をさせられるのが相場でしたんですけれども、私は真面目でしたから、ないだろうと、変なうぬぼれがありまして。

ところが前回の、私の前の職員が、ボタンを押さない人がおりまして、やっぱり勤務成績の悪い人は何をやらしてもダメだということで、私たちの時から真面目なしっかりした人間を選べという命令があったと聞いております。

実際は「なんで私がせないかんか」という気持ちはありました。しかしながら命令があったんで、今日の死刑執行は誰だろうかと、その本人の名前が耳に入りましたんで、彼のやった犯罪の記録を読みました。

それを読んで私は「これは許せん」と、いう気持ち、正義感から、躊躇なく押す!と決意したことを記憶しております。

 

他の担当になった方々はどんな感じ

前日に刑場の掃除とかがあったんで、近いうちに死刑執行があるぞと噂は立っていたんですね。その瞬間は、まさかと思いながら、あいたっ・・・という気持ちがあり、みんな下を向いていましたよ。沈黙。会話はありませんでした。

 

前の人がボタンを押さなかったというのは拒否をしたということか?

いや、そうじゃなしにですね、5人の看守が同時にボタンを押すんですね。その死刑執行の時に踏み台が落ちなかったんです。ボタンは一箇所しか繋がってませんから、「お前はボタンを押してないな!」ということで発覚したんですね。大失態な訳です。

 

ということは、その時の死刑執行は取りやめになった?

いや、取りやめにはなりません。刑場の中に非常用のハンドルがありまして、機械の故障など万が一の場合、そのハンドルをがしゃんと引くと踏み板が落ちるということですね。ですから途中でやめるということはありません。

 

執行の後、担当官への心のケアはあるのか

執行が終わった後に、待機室というかクラブというところで会食をするんですね。で、当時のお金で3千円の手当が出ました。食事は出ましたんですけども、みんな何も喋らず黙々と食べてましたね。そして家に、官舎に帰ったんですけども、私は女房に「塩もってこい」と言いましてね、身体に塩を吹っかけて家に上がったのを記憶しております。

「あんた、何かあったん?」と女房は聞きましたけども何も答えませんでした。それ以降刑務官を何十年しましたが、このことに関しては一言も喋ったことはありませんし、聞かれたこともありません。その理由はですね、どういう罪を犯そうとも死をもって償う、死の尊厳に対する敬意だと思うんですね。軽々に喋ったりすることのできない、無言の教えがあったという風に記憶しております。ですから他のメンバーも一切そのことは話しませんし、あの時大変だったなというような思い出話も一切出ません。

 

誰にも話できないというのは、心境的に苦しくないのか?

死の尊厳に対する敬意で、苦しみということはなかったと思います。その人の性格もあると思いますけど、私はありませんでした。

 

トラウマになる人もいる?

それはあると思います。否定しません。私だってその時の場面を一部始終覚えてますからね。あの時どんな気持ちだったとか、嫌だったなとか、それは残ってます。何十年経ちますけどね、それは鮮明に覚えてます。

 

経験としてどのような位置付けになっているか?

私は彼のやった犯行の内容を見て、これは遺族に変わって仇をとってやらんといかんという使命感に燃えましたね。ですから躊躇することもなかったです。だから後に尾を引かなかったという気がします。

 

囚人の犯歴は自分の意思で確認したのか?

彼はその時70代やったんですよ。もう今さら死刑執行しなくても、老衰で死なせてやればいいじゃないかと、私も人の子でありますので、そう思いまして、一体何をしたんな?と記録を確認したんですね。

そしたら前刑で強盗殺人で無期懲役を服役して、真面目にやってるんで仮釈の対象になったと。ところが、身元引き受け人が誰もいないと。身内からも見放されてる。その時に刑務所の教誨師、お寺の住職さんが自分が身元引き受け人になって、自分のお寺に下宿さして、仕事まで見つけてやって・・・。

そのお返しが、娘さんと奥さんを強姦して殺したという、鬼畜生にも劣る行為に私はもう許せん気持ちになりましたね。それでこれはもうボタンを押すという固く決意したのを覚えております。

 

死刑執行

 

死刑執行当日の密室の様子を教えてください

死刑囚は独居房から所長が執行を言い渡す調べ室へ連行されます。その時、いわゆる警備隊といって屈強な職員が選抜されまして、それから関係監督者が選抜されまして5名くらいで死刑囚を迎えに行きます。

ドアを開けまして「出てこい」と、死刑執行とは言いません「おい、出てこい」というと「何ですか?」と言いましたが「いいから出てこい」と。通常は出て右側の中央廊下に行くんですけども、死刑執行の時は左折して西側廊下へ向かいます。で、2回の調べ室へ連行する。

そこで所長が待っておりますんで、番号と名前を言って「お別れの時が来ました。今から死刑執行します」と言い渡しがあります。そのあと「連行!」という命令とともに、刑場へ向かって行きます。で、廊下へ出て、刑場は一番北側にありますんで、そこから30〜40m廊下を連行されて行きます。

その廊下には5m置きに職員が立っています。万が一に備えての職員です。その前を連行されて行きます。ところが死刑囚は、1分1秒でも永らえたいという人間的な本能がありますんで、世話になった職員、知り合いの職員を見つけるとですね、走り寄っていってですね、手を握ってですね、「先生!お世話になりました!」と、ひとりひとりに挨拶して行くわけですよ。

ところが、職員はね、どう答えていいかわからないんですよ。「元気にやれよ」とは言えません。「しっかりやれよ」とも言えない。何と答えるんですか。「先生!お世話になりました!」と泣きながら手を取られた時にね、職員はつらいんですわ。返す言葉がない・・・。

だから連行するしかない。「よし、前へ行け、進め」と促しながら刑場へ向かって行くわけです。で、中には、名前は控えますけども、死刑囚の担当係をやっていた部長がおりましてね、「○○部長さん!お世話になりました!」と言われ手を握って泣いてるんですよ。

もう私らはですね、死刑執行のボタンを押す部屋の前で待機してましたけど、いたたまれなくなって部屋に入り込みました。我々がボタンを押すというのも見られるのは嫌でしたから。部屋に逃げ隠れるようにして入ったのを記憶しております。

刑場の扉は、一般の会議室と同じような扉です。中も一般の会議室のような雰囲気になっています。一番奥の扉を開けると、そこには仏壇、キリスト教の祭壇、本人がなんの宗教をやっているかによって、スライド、ハンドルをグルグル回すと仏壇が出る、さらに回すと祭壇が出てくるという形になっています。

そこには教誨師、さっき言った宗教家の方がいらっしゃいます。で、死刑囚がくると「最期のお勤めをしましょう」ということで、仏壇に念仏を唱えたりお祈りをすると。短い時間ですけれども、一通り終わりましたら、刑場の方を向きます。

その時、刑場にロープなんかがぶら下がってるのを見ると、やっぱり動揺しますんで、いわゆる蛇腹、通常の会議室なんかにあります蛇腹のカーテンのようなものがあります。

で、刑場のいよいよ落とすところまで連行しまして、1m四方の踏み板、そこがズドンと落ちるわけですけども、そこまで連行して後ろ手錠、両手は後ろで手錠をかけます。足には手錠をかけるか、足首の太い者は紐で縛る。そして目隠しをする。で、ロープを首にかける。で、準備が完了します。

その時に現場の指揮官が、「何か言い残すことはないか」ということを確認します。それぞれ人によって死刑囚によって違いますけども、「俺はビビってませんで、目隠しなんか要りませんわ」というような子もおりますし、もう震えて声にならん子もおります。

それぞれありますけども、大事なことは合図「落とせ」という命令、合図をするときは死刑囚が話し終わった時にやると。話してる途中に合図して落とすと、唇を噛んで舌を噛んで血が流れる。残虐なことになるということで、コツとしては話し終わった瞬間に合図を出す。

合図を受けた係長が壁の赤いボタンを押す。すると我々若手が5人で待機している執行ボタンを押す部屋で壁の赤いランプが点きます。すると指揮官から「押せ!」という命令が出るわけですね。そして5人一斉にバンとボタンを押すわけです。

そうすると刑場の中で、プシューッというエアブレーキのような音がし、1m四方の床がストーンッと外れるわけですね。そしたら身体が下に落ちて行くと。自分の体重で首を絞めるという感じですね。

刑務官が1人、下で待っとりまして、受け止め役というのがおります。落としたまま放置しますと、一旦ジャンプして左右に振れます。時計の振り込みたいに振れますんで、非常に残虐だということで、その受け止め役が止めてやるという大変難しい役目があります。で、死刑執行の流れは終わります。

落ちるのを確認した立会いの所長とか検察官、検察事務官は部屋を出て行きます。で、私たちボタンを押した係は、ロープにぶら下がってる死刑囚の部屋の地下へ入って行きます。そこに医師がおりまして、脈を測り絶命を確認します。だいたい平均12分、吊るしたままにしてます。

医師がよしと言ったら、5人でその遺体を抱えます。ロープを緩め、備えてある棺桶に入れてやります。で、役所が準備した花を棺に入れてやります。それでだいたい終わるんですけども、棺に蓋をして、霊柩車が迎えに来ますんで、地下の奥まったところに簡易な遺体安置所があります。そこまで我々が運んでやる、それで我々の役目は終わります。

 

絶句・・・

 

刑務官としての実際

 

死刑囚は当日まで執行を知らない状態なのか?

全く知らせません。以前は前日に言い渡していたんですけども、死刑になるとわかると人間追い詰められて自ら命を絶つという恐れがあるんですね。昔は、30年40年くらい前ですか、まぁ50年になりますか、前の日に言い渡すと家族にお別れしたり、そういうことを前日にやっていたんですね。

で、翌日に執行していたわけですけども、自殺さしたらいかんということで、対面看護、要するに房の前でね、椅子を用意して職員が一晩中監視してる。それがたまらんということで、即日執行ということに変わって行ったわけです。

囚人と将棋を指しながらですね、何にも会話することできんですよ。「お前、元気にやれよ」いうんですか。「おい、もうそろそろ寝えよ」・・・しかし余命あと何時間しかないのに、寝てしもたらもう生きてる時間がないやないですか。寝るに寝れないですよね。職員も声のかけようがない。

もうたまらんということで、即日執行することになりました。ですから本人たちは直前までそのことを知らされないわけですね。

 

ボタンを押す5人の方以外のそれぞれ担当も当日任命されるのか

ええ。全員、一人一人呼ばれてね、1人ずつ言い渡されます。私が言い渡される前に、先輩がね、下の受け止め役、ドーンと落ちて来たのを受け止める一番難しい役目、それが大先輩でした。盛んにね、管理部長に対して「もう今後は堪えてください」と、「私はもう10回くらいやりました」と、「もう孫のできる歳になりました」と、堪えてくださいと盛んに断っておられたのが印象に残ってます。

 

最後に

 

最後に、司法判断としての死刑というのは別にして、心から反省し悔い改めた死刑囚はいたか?

基本的にですね、今日お迎えが来るか、明日お迎えが来るか、この足音はいつもの職員の足音と違うぞと、違う足音がしたら、もうお迎えが来たとビクビクしとるわけですね。そんな恐怖の中のですね、極限の心理状態に置かれてる死刑囚にね、反省とかそういうものを求める、またそういうことを考えるゆとりはないわけですね。

生きるか死ぬかの極限の状態。足音でね、誰かわかるんですよ、彼らは。それほど神経を研ぎ澄ますほどの中で、反省とかいうのは机上の空論です。理想論です。死ぬる人間にね、何を反省を求めるんですか。彼らは死をもって償う、それが死刑執行ですよ。

でも中には何人かは、稀にその恐怖から逃れるために宗教に救いを求めて、ある意味の宗教的な悟りを開いて、素直に死刑執行に従うと。

死刑囚の処遇というのはそういうこと何ですよ。反省やら云々は求めません。また求めても、皆さんが考えてるような正常な人間とは言い難いんですね。あれだけ残虐な犯罪をやるっちゅうのは、通常の精神やら性格ではないんですね。

だから教科書で読むような(刑務官に対する)反省看護などは、求める方が酷です。非現実的だと私は思います。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。

人それぞれ思うところがあると思います。

番組のMCは、死刑制度自体に反対の立場なのでしょう。

質問にその意思が見え隠れします。

死刑制度の是非、命の尊厳、いろいろと考えさせられました。

動画はこちら(AbemaTV)↓

 

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はじ丸

 

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